PANEL-04-History

佐野常民

日本赤十字社の父

佐賀と世界を結んだ歴史

 佐賀の七賢人の一人、佐野常民は、1822年に佐賀藩士下村充贇の五男として佐賀市川副町早津江に生まれました。9歳の時、藩医佐野家の養子となり藩校弘道館では学才を発揮、その後、大坂や江戸で緒方洪庵、伊東玄朴らの門弟となって蘭学、医学などの学識を広めました。31歳の時に佐賀藩精煉方において、さまざまな理化学研究の指揮をとり、蒸気船・蒸気車の雛形、電信機の製作を行いました。

History

【1】修行時代

佐野常民は、25 才になると藩命を受け蘭学修行へと旅立ちます。京都では広瀬元恭の時習堂、大坂では緒方洪庵…    

【2】精煉方と三重津海軍所

0 から 40才代中ごろの佐野常民は、「精煉方」と「三重津海軍所」、佐賀藩の近代化事業における二つの象徴…

【3】万国博覧会と佐野常民

文久 2 年 (1862) の第2回ロンドン万国博覧会を機に、博覧会に触れた江戸幕府は、慶応 3 年 (1867) に開催…

【4】近代国家を目指して

明治時代に入り、政府の一員として新しい国づくりに励みはじめた佐野常民。明治 4 年 (1871) に工部省灯台頭…

【5】赤十字とともに

明治時代になると、常民は新政府へ出仕して日本の新しい国づくりに活躍の場を移します。日本海軍の創設、…