佐野常民
日本赤十字社の父
佐賀と世界を結んだ歴史
佐賀の七賢人の一人、佐野常民は、1822年に佐賀藩士下村充贇の五男として佐賀市川副町早津江に生まれました。9歳の時、藩医佐野家の養子となり藩校弘道館では学才を発揮、その後、大坂や江戸で緒方洪庵、伊東玄朴らの門弟となって蘭学、医学などの学識を広めました。31歳の時に佐賀藩精煉方において、さまざまな理化学研究の指揮をとり、蒸気船・蒸気車の雛形、電信機の製作を行いました。
佐賀の七賢人の一人、佐野常民は、1822年に佐賀藩士下村充贇の五男として佐賀市川副町早津江に生まれました。9歳の時、藩医佐野家の養子となり藩校弘道館では学才を発揮、その後、大坂や江戸で緒方洪庵、伊東玄朴らの門弟となって蘭学、医学などの学識を広めました。31歳の時に佐賀藩精煉方において、さまざまな理化学研究の指揮をとり、蒸気船・蒸気車の雛形、電信機の製作を行いました。